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2011-08-29

気になる障害告知

7月・8月のKid’s セミナーが終わり、今年も夏が終わるな~と、ひと息ついているところですが、
毎年セミナーの準備を通して思うことは、この一年で、うちの療育はどれだけ成長できたかです。
毎年同じタイトルのセミナーを行いますが、この内容が毎年、同じであれば(そういうセミナーも多いと思いますが)、
その組織は、この1年間で何も成長しなかったということですよね。
療育は、まだまだ未開発であり、日進月歩していくことが当たり前のはずです。
参加者の方々のアンケートや感想を聞くところ、今年も何とか、進化できていたようです。
そういう意味でも、ひと息です。

さて、このところ、私が力を入れていることの1つに、こども本人への障害告知があります。
これは、いかに社会性を発達させていけるか、そのための他者理解や自己理解について考えていくなかで、
また、就労や高等学校以上の教育過程での生活を考えた時に思い始めたことです。
私たちは、周りの人のことを理解していく時に自分の経験を通して理解し、
また、自分のことを知る時には、周りの人の言動を通して知ります。
私たちがそうだと思っている自分や周りの人のキャラク―は、絶対的なものなのではなく、
周りや自分(何らかの基準)と比べて、そうでしかないのです。
昔、アメリカ人の友人が、「この記事(ADHDのこどもの様子を書いた記事)のこどもをADHDと言うなら、アメリカの小学校のこどもは、みんなADHDだ。」と、言っていました。
つまり、日本の小学校では目立つ特性も、アメリカの小学校では共通事項で特性とは言えない(小学校の教室の文化が違うからでしょう)、
その個人の特性が絶対的なものではなく、非常に相対的なものであることがイメージできると思います。
(だからって、アメリカで生活すればうまくいくと言っているわけではありません。)
別の話だと、例えば旅行に行った時に、「田舎の空気はおいしい」と、思うのは、
日常的に、田舎の空気とは違う都会の空気を吸っているからこそ気付きます。
ずっと田舎に住んでいても気付かないし、都会に住んでいて田舎に行く機会がなくても気付かない。
どちらか一方しか知らなければ、おいしい空気も、おいしくない空気のどちらにも気付かない。
つまり、どちらを知る時には、どちらも知らないと気付かないということです。
これらの例えのように、自己と他者の理解は、同時に双方からすすみ、
また、どう理解するかは、その人が属する社会や文化によって異なります。

永い間、人と人がうまく生活していくためには、双方が思いやり、気持ちいい環境をつくり、
この経験を通して、お互いに必要とされていることを感じ、自尊心が保たれることが大事だと思います。
もちろん、発達障害があるこども達だって同じです。
そして、これを成し遂げるためには、周りの人のことを理解することと同時に、
自分のことを理解することが必要不可欠で、その自分を成す1つに、発達障害という特性はあります。
療育をすることは、発達障害という特性がありながら、社会生活を営めるようになることで、
発達障害をなくすことではありません(結果的に、周りからは、なくなったように感じられることはあります)。
また、こどもにとって楽しく学びある療育の時間が、自分にある発達障害という特性をなだらかに、
そして、大変なこともあるけど悪いものではないし、生きていけると思えるための、
手助けの時間でもあります。

障害告知とは、そんな過程をも含めた、こども自身が自分のアイデンティティを形成するための、
つまり、誰もが通る、大人になるための重要な発達過程だと思います。

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