2010-10-27

専門家とは -一味の皆さんの教えより-

先日参加した行動分析学会でのできごと、とてもステキな小学校教員一味の方々のお話からもう1つ。
その日は、いろいろな研究発表があり(私は仕事で全く見ることができなかったのですが…)、
発達障害があるこども達が被験者の発表も数多くあったようです。
一味の皆さんは、研究データの読み方にも精通しておりますので、学会終了後の食事の席で、
学会の抄録を見ながら、私にいろいろな研究データについて興味深い説明をしてくれます。
例えば、ある行動を変えるために(友達のおもちゃが欲しい時に奪い取る行動を「貸して」と言う行動に変える、
授業中に離席する行動を着席し続ける行動に変えるなど)、
どんなことをすると行動が変わったとか、どれぐらいの日数や時間で変わったとか、
数値で表されたデータなるものを並べて考えていきます。
大学の研究者、学校の教員、学生、私たちのような臨床現場でサービスを提供している人、
いろいろな人が、それぞれのフイールドからの報告をされていたようです。

さて、私も時々、研究者の方々と一緒に研究させていただくことがあるのですが、
(私は、プロの研究者ではないのですが、研究はとても楽しい活動です)
研究は世のため人のためになることが大前提で、決して、研究者の自己満足であってはならないと思うのです。
きれいなグラフになったとか、面白い数値が並ぶかどうかが大事なのではなく、
その研究が、研究者の自己満足のためだけではなく、他の誰かの役に立ち満足をもたらせるものでなければ、
その研究は、意味がないと思うのです。
でも、違いがわかる一味の皆さんの目で確認すると、研究者の自己満足用の研究が少なくなかったようです。
学会の発表者の中には、数多くの学生さんもいらっしゃいますので、彼らの場合はまだ許されるでしょう。
学費を払って研究を勉強中の彼らにとって、学会発表は、ピアノの発表会に出ているようなもの
(そうでない学生さんもいらっしゃるでしょうが)、
ピアノの発表会に出ているこどもが、自分の満足のために発表会に出たって誰も怒りません。
しか~し、その中に、研究そのものを生業としていたり、
その研究テーマをサービスとしている臨床家がいるわけですから残念です。
研究というよりは、小学生の自由研究(ちょっと勉強している人には周知の事実だけど、
それを知らなかった本人の自己学習)のようなことが紛れているわけです。

今回の行動分析学会で、臨床家の育成や倫理をテーマにシンポジウムをされていたように、
今後、発達障害がある子どもたちに療育をする臨床家が増えていかなければならないことと同時に、
その臨床家がまっとうな仕事をするように、ネットワークが整備されていかなければなりません。
そいったことを考えさせられるような一味の皆さんの指摘、
小学校の先生とは思えないぐらいまっとうに、臨床家の仕事の在り方について語られたのです。

一味の皆さんがズバリ指摘したのが、「60万円の魔法」です。
その魔法は、きちんと対象のこどもの状態を把握していれば、はじめっからAという介入が適当だったことを、
わざわざなのか、判断できなかったのか、まずBという介入を続けて効果がいまいち
(当然、介入期間は延びます)、
次にAという介入を入れて、あたかも特別な介入をして魔法がおこったように見えるグラフになるというもので、
一味の皆さんが、A4一枚の抄録と説明を聴いたところで見破った魔法で、お値段60万円。
B単独の無駄な介入期間はさておき、せめてAという介入が魔法に値するようなことであればよかったのですが、
美容院やパン屋でもあるポイントカードを、ポイントカードがはまるタイプのお子さんに使って、
ポイントカードにつき物の効果が表れただけなんですよね。
それを判断する観察時間とポイントカードの使用説明時間、おまけにカードの作成費用を含めたとしても、
破格のお値段であることは、言うまでもない。

私が保護者の方々に説明をする時、時々、お話することなのですが、
「本当にできないことができるようになるときは、できたりできなかったりすることを繰り返し、
だんだん、できる時のほうが多くなって、最終的にできるようになります」。
これが、能力的にできないことができるようになる過程です。
これと比べて、環境が、こどもの発達やキャラクターに合っていないだけでできていないことは、
その環境を変えると一瞬でできるようになります。まるで魔法です。
それを行った人がスゴイ能力を持っていたような錯覚に陥ります。
でも、それは、算数ができないと言われていた小学生が、実は大学入試の数学をさせられていて、
それを小学生向けの問題に変えたらできるようになったとか、
左利きのこどもに右手で字を書かせていて、きれいに書けなかったのを
(右手で書くことを目的にしてたわけではなく)、
左手で書かせるようにして、きれいに書けるようになったというようなことと同じです。
上記の「60万円の魔法」も、これらと同じなんですね。
もちろん、この一見魔法のように見える、こどもにあった環境に変えるということも、
1つの介入であることに変わりないですから、それに見合った費用をいただくことには問題ないと思います。
ただし、それに見合った費用であることが大前提です。
そして、こどもを守るためには、その費用と効果が適当な関係にあるのか判断する力が、
消費者である保護者の方々には必要ですし
(学歴や資格だけで判断するのではなく、きちんと説明を求め、こども達の変化を確認されることと思います)
また、その判断を適切に行えるように助言するのが専門家の役割です。
それが判断できない人は専門家と名乗るべきではないし、
わかっていながら60万だったとしたら、専門家以前に、人という社会的な動物を名乗るべきではない。

適切に判断する能力を培うために本来の業務以外の時間にも、日々、学ぶことを重ね
(そうでなければ、毎日の学校業務に追われている教員に持てる能力ではありません)、
人として当たり前のことを当たり前のように語ることができる一味の方々、
学歴や資格に関係なく、彼らのような人を専門家と言います。
彼らのような先生から教えられたこども達は、人という文字に値する社会的な動物として成長するでしょう。
この度の一味の皆様とのディスカッションは、療育の専門書にも、経済の専門書にも、
そして、倫理の専門書にも値する、とても素晴らしいものでした。
私も同じように語れる人であるために、日々、努力を重ねていきたいと思います。

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