2008-07-31

7月セミナーの補足:やらされ感とは

セミナーのビデオ(会社の記録として全日程を録画しています)を見返しておりました。
ペットボトルにビー玉を入れることを通して、両手と視線を一緒に動かす課題を実演していたときのこと。

「その課題をする時に子どもがやらされてるって感じがする・・・我慢してやっている感じがするんだけど、どうすればいいのか?」
「その課題の機能は何?それができたらどうなるのか?」

セミナー当日、話の終わりごろから私も聞いていたのですが、最初のやり取りを聞いていなかったので、
何を意図した質問なのかピンときませんでしたが、ビデオを見返してみてわかりました。
なるほど、子どもが、この課題を意気揚々と自発的に行なうためにはどうしたらいいかってことをおっしゃりたかったんですね。
実演を担当していたスタッフは質問の意図を理解していたようなのですが、想定にない質問にどう説明したもんか考えこんでいたようです。
「今は課題へのモチベーションを問題にしているのではなく、スキルそのものの教え方がテーマなんで」では、
余りにも心無い返事ですもんね。私と違って、なかなか優しいスタッフです。
この実演の意図は、単に両手の作業をするときのスキル的な説明でしかなく、
子どもがモチベーションをもって、自発的に行動することとは別の問題なんですね。
実際の臨床では、自発性やスキルの難易度も含めて色んな要因を絡めて考えないといけないのですが、
人に伝えるとき、教えるときには、それぞれを分けて考えていきます。
それぞれを分けて考えないと、何をしているのかわからなくなったり、
毎回同じ道筋で課題解決してしまい、結局は自発性がないからできないといったように、
いつも行き着くとこが同じになってゴールまでの解決方法がないままになってしまうからです。

ところで、そもそも自発的(やらされ感ではなく)にとは、どういう状態だと思いますか?
課題解決には、まず、その課題の正体を探ることが大事です。
うちのスタッフは、その習慣がついているので質問者に問います。
「何を見て、やらされ感がすると思ったのか(つまり、裏を返すと、どういう状態がやる気ある状態だと思っているのか)」
「とにかく我慢してやっているような感じがする」というお返事。
これでは何を求めているのかがわからない、ゴールがわからないということは手立ても打てないのです。
こういった一見最もらしい課題には、実は、大きな落とし穴が隠されています。
課題となっているのは、自発的(やらされ感ではなく)でないような気がするだけで、
実は大人側も何が自発的なのか、つまり、自分が求めているゴールは何なのかわからないんですよね。
だから、当然、解決策は見つからず、うまく教えられない。
セミナーの最中には、時間の都合もあり一緒になんていえませんでしたが、
これは、よ~くあることなんで、皆さん一緒に考えてみましょう。
具体的に考えることが大事ですよ。

さて、子どもたちに自発的に勉強してほしいと思う大人は多いと思うのですが、これはどうでしょうか。

「先生に宿題を出されたので、家に帰ったら、お母さんに言われる前に自分から宿題を終えた」

自発的な行動のようにも思えるのですが、先生に宿題を出されたからした勉強が、自発的と言えるのでしょうか。
また、お母さんに言われる前にっていうことは、お母さんに怒られることがあるからその前に勉強しただけで、
怒らないお母さんだったら、やっていなかったってことでしょうね。この点でも自発的ではないですよね。
じゃあ、真の自発的って何でしょう。
先生に宿題を出されるまでもなく、お母さんに小言を言われなくてもお家に帰ったら勉強することか。
いや、そもそも学校に行っている時点で自発的に勉強ではないのでは?
学校は勉強しなければならない環境なんで、そのためにどれだけお家で勉強しても、
自発的にとは言えないのではないでしょうか。
もし、子どもたちが自発的に勉強するのなら、丁寧に説明が書かれている参考書をおいとけば、
教員や親はいらないですよね。
なるほど、真に自発的に勉強するとは、傍でビデオ見ている兄弟がいても、大人が見ていない環境でも、
学校という勉強の環境ではないところであっても、自ら勉強を行うってことか!

あ~ 私たちは、自発的に行っていることが一体どれくらいあるのでしょうか。

つまり、実際に私たちが自発的に行っている行動なんて、そんなに多くはないのです。
今時の幼稚園児、何して遊んでいいかわからないから教えてと言ってくる、
大学生になっても、大人になって何していいかわからないから就職浪人する時代です。
それなのに、発達障害がある子どもたちにだけ自発的に動けって、そりゃないぜ~と思うわけです。
こんな話をしていると、「いや、そこまで自発的でなくてもいいから、ある程度自発的な行動が・・・」と、おっしゃるかと思うのですが、
そのある程度自発的ってのは、いったい何なのか。
おそらく、その言葉に置き換えざるをえなかった、何か困ったことの正体があるはず。

では、ちょっと視点を変えて考えてみましょう。
学校場面で、子どもたちが自発的に行っているように見える言動とは何でしょうか。

先生が、「○ページを始めます」と言ったら、急いで教科書を出してページをめくる姿。
先生が、「○○、わかる人!」と言ったら、意気揚々と挙手する姿。
先生が課題のプリントを配ると、わき目もふらずプリントに取り組む姿。
先生がペットボトルとビー玉を渡すと、どんどんビー玉を入れて、できたら先生にニコッと微笑んで手渡す姿。

どうでしょうか。
子どもたちの自発的な姿というものの正体は、先生が提示した活動をポジティブな言動とともに受け入れている姿ではないでしょうか。
そして、子ども達がその姿を見せるのは、先生や一緒に過ごしている友達に認められたいからではないでしょうか。
多くの子どもたちは、殆どの行動を真の意味で自発的に行っているわけではなく、
その活動を上手く行うことを通して先生や友達に認められ、その社会の中で上手く存在することを求めているのではないでしょうか。

では、ここを解決するためにはどうすればいいのか。簡単です。
先生が、子どもにとって認められたい、上手く関係をもちたい存在になる、
つまり、見たい、見られたい存在になればいいのです。
私たちのセミナーで嫌というほど紹介しているマンドトレーニングを通して、
子どもが楽しむ場面を提供し、その場面で自分をアピール(アイコンタクト)すること。
この2点を学校での生活時間の半分でも費やせば、ペットボトルにビー玉入れることも、それ以外のどんな活動でも、
見たい、見られたい存在の先生とであれば、楽しめるはすです。
恋人同士は、どんな場所でも、どんな活動でも、その人と一緒なら楽しいのと同じです。

ちなみに、ペットボトルが、その子どもの遊びの発達に合ってない(遊び自体に楽しめる要素が入っていない)、
しかも、先生との関係もできていないとすれば、その活動を楽しく自発的に行うことは無理です。
その行動を増やせるかもしれないご褒美をつけても、その行動自体を自発的に行うようには余りなりません。
楽しくないペットボトルはすっぱり止めて、子どもが楽しむ活動を探す、創っていくか(考えて)、
または、子どもとの関係を作ってからペットボトルの活動をするかです。
関係ができている状態で行うやり取りは、そんなに工夫をしなくても、多少は強引に活動に入れ込んでも、子ども達は楽しみます。
そういったビデオが、たくさんご覧頂けたはずですので、ぜひ、思い起こして実践してみてください。

そうそう、それから、子どもが自発的に活動することも大事ですが、
それと同時に、自発的でなくても(そんなにやりたい活動でなくても)相手の指示に沿える力は、
社会生活を営むうえで、とても大事なスキルです。
自分の生活を振り返ると、それがたくさんあることに気づくはずです。

うちのスタッフにとって、この辺りは大前提の話なので、コメントの用意がなく困ったのでしょう。
途中から話に加わった私も、少し言葉の整理に時間がかかりましたので、まだまだ修行が足りませんね。
おかげさまで、いい勉強になりました。
でも、こんなに込み入ったディスカッションが短時間の間に始まったのは、それだけ子ども達に熱心な人間が集まったからで、
これは、とても喜ばしいことですね。
こういったことの一つ一つが、子ども達の学びの場を良くする過程であると思います。
また、8月のセミナーは、私たちにとってもどんな学びがあるのか、今から楽しみになってきました。

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