2007-10-28

学校のあり方

大阪市内にある生野朝鮮初級学校を訪問してきました。朝鮮語と日本語がとびかうバイリンガルな学校です。
元々の依頼は、あるお母さんからお子さんが学校で自他傷があるので相談にのってほしいとのことでした。
で、お家でお話を伺うよりも、学校でトラブルがあるのであれば学校での様子を見たいと申し出たところ、
お願いしてからすぐに見学の了承を頂きました。
正直、見学はダメだろうなと思い、できればと言う形でお話したので驚きました。
なぜ、ダメだろうなと思ったかと言うと、これまで見学を申し出た小学校・幼稚園では殆どダメだったからです。
私たちだけではなく、親御さんが見学に行くことさえままならないわけです。
ところが、こちらの小学校ではすんなりOKだったのです。
しかも、必要であれば、私の訪問時間に合わせて時間割を調整することも可能、
こちらが質問すれば、当日以外の学校での情報も提供してくれます。
さらに、当日にトラブルの場面がないかもしれないからと事前にビデオまで撮って頂いておりました。
もちろん、見学後のお話の場には担当の先生が参加してくれているわけです。
これだけでも素晴らしいのですが(学校をご存じない方にとっては当然と思われるかもしれませんが・・・少ないんですよ)、また中身も素晴らしい。
私がこれまで見学に行った幼稚園・小学校の中でもベストに入ると思います。

まずは、きちんと個別の教育プログラムがたてられ、集団と個別の授業が用意されていました。
集団は通常学級で授業を受け、個別では個室で1対1の授業です。
予算やマニュアルがあったからできているのではないのです。
こちらの学校では、行政からの費用の援助がでないので親御さんたちが賄っているそうです。
だから、人でも物資でも満たされているわけではないと思うのです。それでも何とかしているのです。
空き部屋を使ったり、授業があく先生が交代で個別授業をみたり、
個別でいろんな先生が関わるかわりに、担任は4年間同じ先生がもたれています。そこで統一させているんですね。
発達障害がある子どもを受け入れるのは初めてだそうです。だから当然マニュアルはですよね。
でも、受け入れるとなった以上、これまでのシステムを変えていい形を考えていかれているわけです。
ちなみに、担任の先生はクラスを持ちながらも、学校での取り組みを研究として発表もされていっています。
研究にしていくということは、自分達の取り組みを思い込みで進めていくのではなく、客観的に見直すということであり、
また、同時に社会に1つの方法論として還元していくということでもあります。
教育を携る者としてのSCRではないでしょうか。
すぐに前例がない、予算がないと言っている学校とはえらい違いです。工夫しようよ。創造できない先生から創造できる子どもなんて育たない。

さらに素晴らしかったのは、子どもの教育現場の中に親御さんや私のような一般人でも、
身分を明らかにすれば、きちんと見学させてもらえる風通しの良さです。
個別の授業場面も集団の授業場面も見学させていただきました。
集団の授業で子どもたちは少しざわつきますが、それも束の間、先生に怒られることもなく授業に注意を戻せます。
先生もなんの問題もなく授業を進めていかれ、授業の切れ間でクラスの子ども達に私を紹介します。
「~くんのことを考えてくれる江口先生です」と。
これまでかろうじて見学できた小学校がどうだったかと言うと、まず、先生が私と話そうとされません。目も合わせないんですね、先生が。
それから、子ども達が落ち着かないからと教室に入ることを拒み、当然、紹介なんてありません。
そして、誰かに見られると緊張するから(先生がですよ!)見学は控えてくれと言います。
なんなんでしょう、この差は。
プロならば、多少の人の出入りぐらいで子どもの注意をひきつけられないなんて言うな~(と、よくお母様の訴えも聞きます)
子どもは、きちんと紹介され正体がわかれば、本当に授業が興味深いものであれば、いつまでも私のことなんて気にしないんです。
紹介もなく、誰がなんのためにいるのかわからないから、いつまでも気にするんです。
それに、他人が見学することが日常になれば、いつものことなんで目にも留めなくなります。
そもそも、普段から怒鳴らないと注意が向かない授業だからこそ、そんな心配が起こるんですよね。
いつまでもざわついているのは、先生の対応と教育スキルの問題ではないでしょうか。

こういった環境の中で育った子どもたちは、もちろんまっとうな人に育っているわけです。
私がすれ違った子どもたちは、全てと言っていいほど「あにはせよ~」。
私が先生から子どもたちに紹介される前で、1人で廊下を歩いているときからなので、
先生に言われるからと強制的な感じではなく、普段からの習慣なんでしょうね。
とても親しみを感じさせる表情が伴う挨拶でした。建前の挨拶ではなく、心ある挨拶です。
人が人にすいついてくる感じなんですね。
子どもの幼さから、幼稚園や1年生ぐらいまでの子どもにはわりとある光景ですが、だんだんなくなっていきます。
それは、そこからの教育や躾の違いだと思います。
こちらの学校では高学年の子どもたちも、きちんと人としての対応があるのです。
単に幼いからではなく、人と人との関係の持ち方をいいものとして学んでいるからでしょう。
こういったことが足りないと言うと、日本の教育委員会は、道徳の時間を増やしてNHKの教育番組を見せてみたり、
偉人の本を読ませて感想文を書かせたりします。そして、個々の感想に正解をだそうとします。
その感性、なんとかならんかな~と思います。
子どもたちは、先生や親といった自分たちのモデルである大人が、
日々の生活の中で大人や子どもに対してどんな対応をしているかをみて、それを模倣しているのだと思います。
自分たちの教室に来る人たちは、知らない人でも歓迎されている、挨拶されている、だから自分たちも同じようにする。
そして、人は、みんないいものなんだと思える。
自分たちの教室に来る人たちがこっそり見ている、先生が挨拶しない、見てはいけないと言われる、
となると、子どもたちはその環境に嫌悪感を感じることは言うまでもなし。

どうすれば、こんな素敵な環境が生まれるのかと考えてみましょう。
それは、双方が、学校はお互いの共有のものと考えることではないでしょうか。
日本の多くの学校は、学校は先生のお城、授業は先生のものだと思っていますよね。
で、学校のことは私たちに任せてくださいと。
親御さんも、学校の中のことは学校がなんとかするものだと思っていますよね。
そうじゃないと思うんです。
学校は、双方で創っていくものなんですよ。子どもために。
税金で費用を賄っている学校の雇い主は納税者。
学校は親御さんも含めた納税者のものであり、教育委員会や教員等の学校関係者は納税者から学校を預かっているだけで、
それは、自分たちのものになったわけじゃないんですよね。
つまり、親御さんはもちろんのこと、学校を考える人であれば誰でもが意見を述べることができるはずなんです。
株主や顧客のコメントを聞かない企業なんてないんですよ。
むしろ、いいサービスを作っていくためにはサンプル品でもつけてコメントもらいたいぐらいなんです。
それから学校だけでなく、親御さんも努力しないといけません。学校に注文つけっぱなしはダメなんです。
身の回りのことや基本的なコミュニケーションや大人の話を聞くといった集団生活に必要な基礎スキルは、
家庭の中で躾けて準備しておくものだと思います。
発達障害があったとしても、かなりのことができるようになります。
もしかしたら、すご~く手間がかかるかもしれませんが、それは教えていくのは親御さんの責任だと思います。
発達障害があることは親御さんの責任ではありませんが、そういったスキルが身についていないことは親御さんの責任です。

ちょっと見学しただけの私には見えない色んな問題もあると思います。
教育の内容も全てが100点満点ではないと思います。
でも、「できない」を連発して何も前に進めようとしない多くの学校より、ずっといいわけです。
そういう人としてきちんと成熟した仕事のあり方を持つ学校で育っている子どもたちは、きちんと人としてまっとうな発達をしています。

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