2013-04-15

学びにいかされる評価

最近参加している障害がある人達への就労を支援する会合でのできごと。
障害がある方を数多く、数十年に渡って雇用されてきている企業の方が講演をされました。
講演の中で「就労支援評価シ―ト」と評価表が配布されました。
そこで働く障害がある方の働きぶりを上司等が確認するためのチェックシートです。
一般の企業でもよくあるものですね。
チェックされる側は余り心地よくないかもしれませんが、私は、これが活かされているのであれば良いと思います。
このチェックによって個人の課題がみつかり、それを改善することで個人の働き方がよくなり、
その結果、仕事が上手くできるようになることは個人にとっても気持ちいいことだし、
もちろん企業にとっても生産性が高まる等のメリットがあり、みんながハッピーですよね。
こうなるためには、この評価表の項目がいい結果に結び付くような内容でなければなりません。

大きく二つに分かれていて、半分は職業の作業効率等の技術的な内容、
もう半分はコミュニケーションや社会性といった集団としての動き方の内容です。
注目すべきところは後者ですが、例えば、コミュニケーション欄の「あいさつ」。
チェック項目には「あいさつができる」と書かれていて、これを4段階ランクでチェックします。
皆さんどうでしょうか。チェックする側だとしたら、何をもってできたとするのか迷いませんか?
個人レベルでは挨拶の仕方なんて人それぞれ、もっと言えば相手や状況によっても変わりますから、
もっと具体的な言動が明記されていないと評価する人によって、評価内容が大きく変わってしまいます。
これだと対象者の正確な評価ができませんから、当然、それに対して適切な改善策はつくれず、
うまくいかない支援が続き、チェックされた側が不快なだけの評価表になってしまうんですね。
手前味噌ではありますが、うちの評価表はどうなっているか。
最近、こども塾の評価表の一部を掲載したので参照していただきたいのですが、

http://www.kids-power.net/archives/2010/06/images/1364463407.pdf
(弊社HP、トップページニュース欄の3月28日付け記事参照)

この中の「コミュニケーション」→「あいさつ」の欄を見ると、「先生や友達の顔を見て言う」となっていますね。
まずターゲットにするべき行動は、「顔を見る(見ながら)」、この一点ができているかだけをチェックします。
できていれば○、いなければ×、誰がチェックしても同じ評価になります。
そして、これができていれば「あいさつ」の次の項目にすすんでいきます
(HP掲載のシートは一部抜粋なので、次の項目は省略されています)。
このように具体的な行動が評価の対象になっていると、対象者の今の能力とズレない評価ができ、
その結果、何を課題にして、どんな対策をすればいいかが明確、かつ正確になり、
成功する支援がうまれていきます。

時期的には少し落ち着きましたが、不況のせいか少子化のせいか、
障害に関わらず就職進学に関する報道をよく目にしますが、
雇用する側もされる側(入学する・受け入れる)も、よく使う言葉「やる気」。
でも、その「やる気」の正体を明確に語れる人はそう多くないのです。
(大多数に通用するそれが語れれば、深夜に行列ができるベストセラー作家になれるかも!)

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2013-02-25

大学院まででて ~スタッフの呟き~

2月23日の記事「大学院まででて」の元となった番組をスタッフとも一緒に見ました。

「大学や大学院で『不登校』って何なん?」

うちのスタッフの呟き…さすが、素晴らしい感性!
そう、大学や大学院は義務教育じゃないんだから、
学生本人が行きたくないのに行かなければならない大学とか大学院って?

学生には、大学や大学院に行きたくなくなる・行けなくなる原因があるでしょう。
それともう1つ、大学や大学院には、そこが守るべき社会的使命があります。
学生が行きたくなくなる・行けなくなる原因と大学が守るべき使命、
その両者をよく考えた時に、それは本当に支援するべきものなのかですよね。
例えば、
病院や人と関わることが嫌いな人を看護師になるカリキュラムの大学に行かせるために支援する。
味覚に障害がある人を調理士専門学校に行かせるために支援する。
味覚に障害のある人が調理士専門学校に行くことがダメだと言っているのではないのです。
ただそれは、彼が本当に望んでいることだったのでしょうか。
彼は支援をされてまで、そうしなければいけなかったのでしょうか。
そして、大学や大学院(専門学校等も)は当然のことながら、
支援という名の下に、彼らの力に合わせて基準を下げることがあってはならないと思います。
学生の力に合わせて看護師になるための基準を下げていけば、人の命を守れなくなり、
調理師の基準を下げていけば、長い歴史の中で培ってきた食文化を守れなくなります。

ここで起きている『不登校』という問題の多くの正体は、
周囲の大人達が考えるそこにいけば何とかなるという幻想のもとにつくりだされた、
何とかなってという大人の願望から考えることを先送りされたためつくりだされた、
大学・大学院は行かなければならないという周囲から与えられた信念と、
学生自身の気持ちや適性とのミスマッチかもしれません。

大人の都合で創りだされた『不登校』、まずは大人が変わらないと解決しないですね。
ちょっと辛口でしたかね

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2013-02-23

大学院まででて

私がこども達の療育をする時にいつも考えていることは、
この子達が大人になった時に生きていける力をどれだけつけてあげられるか、です。
その時間を逆算して、今、何をしておかなければならないのかなんですよね。
そんなこともあり、このところ興味があるのは発達障害がある成人の方々の生活や仕事について、
成人の生活や就労支援をしている方々、大学や高等学校で学生支援をしている方々、
こういった人たちとご一緒させていただくことが多くなりました。

先日、大学や大学院に在学している軽度発達障害がある学生さんを取材した番組がありました。
その年齢になってはじめて自分に発達障害という特性があることを知り、
十数年思っていた自分自身を捉えなおさなければならない大変さ、
学生という社会に出るまでの猶予期間がもう終わろうとしている時期になって、
やっと社会で生きていくために必要なスキルを学び始める大変さ、
私が一緒に活動させていただいている成人期支援をされている方々から聴く話と同じです。
たら・ねばは禁句だと思いますが、もっと早い時期にと思う事は少なくありません。

さて、その番組で取材を受けていた学生さんのコメントで1つ気になるものがありました。

「大学院まででて作業の仕事なんて…」

発達障害がある学生さんだけでなく、全ての学生さんとその保護者の方に知っておいてほしい言葉です。
私は、大学や大学院は就職するために行く場所ではないと思いますし、
(一部の職種では、その職種に就くために必要な過程ではありますが)。
大学院を卒業したこととどんな仕事に就けるかの因果関係は、そう高くないと思っています。
だから、上記の言葉にある出来事は、充分に起こりえることだと思います。
大学や大学院で学ぶことは本来、働くことを目的とした知識やスキルなのではなく、学問そのものです。
大学や大学院は社会の中で、特定の学問を探求する(それが直接的に何かに役立つか否かは別として)役割を果たす場所です。
それらを念頭において、自分にとって大学や大学院というところは、本当に行きたい、行くべき場所なのか、よく考えていただけたらと思います。
そして、それを考える上で必要なことは自分をよく知るということが必要ですよね。
そういった考える時間をとっていれば、もしかしたら、発達障害という特性ももっと早い段階で知ることになり、
社会に出るタイムリミットが近づいてから慌てて整理しなおさなければならない大変さも減るでしょうし、
上記のような言葉がでる事も少なくなるでしょう。
大学や大学院にいくことがダメだということではなく、それが求めていたことなのかどうか、
世間で言われるいい大学や大学院に入れば何とかなることはなく、
自分が求めていることに合った選択で大学や大学院に入った場合に限って有効になります。
ましてや大学が高等学校化し(ということは、大学院は大学化)全入時代と言われている現代においては、
大学や大学院に入ることそのものは将来を確約するものではなく、
もう1つつけ加えるならば、有名企業に就職することも将来を確約するものではありません。
入学・就職してもドロップアウトする人が年々増えていることは周知の事実ですね(発達障害の有無に関わらず)。

じゃあ、どうすればいいのよって言われそうですが(笑)、私にもパーフェクトな答えはありません。
ただ1つ言えることは、こども達が、自分で生きていくために自分を知っておくことは必須だと思います。

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2013-02-06

見えてますか?

事務所に向かいながら歩道を歩いていると、大学生らしき学生の集団が見えます。
1人がアイマスクをして杖を持ち、もう1人がその介助というペアが十数組歩いています。
どこかの福祉関係の学科が、視覚障害がある人の体験学習でもしているのでしょう。
そのペア達がふた組、感想を述べながら横に並んで歩いています。
つまり4人が歩道に横一列ということです。
しかも、そのうちの二人は杖を左右に振りながら歩いているわけです。
歩道は通せんぼう状態になります。
列のところどころに教員らしき人がいるのですが、
「どう?見えないって怖いよね~こういう世界があるんだよ。」など、
学生さんと一緒に感想を述べ合っていますから、さらに通せんぼう状態が強靭になっていきます。

みえていないのは誰なのか。

自分がいる社会での自分を観ることができるようにならなければ、
自分とは異なる体験がある人の世界を理解するなんて、とてもできるものはないのです。
まず社会人として、彼ら自身の社会での振舞い方を教えてあげて欲しい。

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2013-01-21

教育の未来

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