2013-03-11

ステキな支援

小学校通常学級での支援を確認に行ったときのこと。
30数名の1年生のクラスに担任1人、支援学級在籍のこどもの援助に入っている支援学級の先生1人。
支援学級の先生とは、昨年の4月から何度かお話させていただきながら、
学校での支援方法と家庭療育とをつないできました。
ここ数年、学校で支援方法をお話させていただいたり、学級運営をお手伝いさせていただく機会が増えましたが、
まだまだ難しい(支援がうまくいっていない)ケースの方が多い中、
こちらの先生の支援はとても素晴らしくなっています。

見学した授業は国語でした。
1時間目の前、朝の時間の漢字ドリルが終わったら、A君は最近はまっている折り紙をしていい約束になっています
(学校では与えられた課題が終わったら自由帳にお絵描きしていいとかありますよね)。
折り紙を折っている真っ最中、クラスは朝の漢字ドリルの時間が終わり、音読が始まります。
でも、支援の先生はAくんの折り紙をすぐには止めず、今折っている1つが終わったところで、
「片づけて、教科書だして、○ページ」と、指示し、クラスに参加させます。
音読は、Aくんがいる窓付近の席とは反対の廊下側の席のこども達から順に、句読点ごとに読まれていきます。
支援の先生はしばらくAくんに声をかけず(教科書は開いているが、今読まれているところには注目していない)、
Aくんの2人前(ちょうど同じ班のこども達が読み始めたとこ)から、「(指差して)ここ、見て」と、
今読まれているところを目で追うように、指示を入れ始めます。
そして、Aくんの番になると、Aくんが読むべきところを読み始められます。
とてもスムーズ!

支援とは、今のこどもの発達に応じて、子ども自身に頑張らせることと環境整備をすることで、
こども自身が社会で上手く生活していけるようにすることです。
そして、その練習は、どんな社会場面にいるかによっても変わっていきます。
学校なのか、療育場所なのか、個別療育(家庭も含む)なのか。
例えば、私たちが行っている小集団の場面だと、A君にとってそれが今の課題であれば、
上記の折っている途中でもクラスで音読が始まれば止めます。

それは、もし折り紙を止めた時にA君が怒っても、大人は譲らずにクラスに参加できるよう対応でき、
(自分のやりたい活動を止められるわけですから、最初は、要求を通そうとチャレンジしてくることが多いです)、
また、クラス全体の進行も妨げないように対応する準備があるからです。
もちろん、個別療育でこの手の練習は散々積んでいることが大前提。
でも学校では、物理的な問題、クラスにいる同級生、授業で進めるべき学習内容、いろいろな条件があります。
それらを妨げない(Aくん自身と同級生の双方に学ぶ権利がありますからね)ように、
かつ、A君が学びを得られる一点を探っていくことになります。
そういう意味では、本当に素晴らしい支援を見せていただきました。

うちの支援の先生にもやってもらわなくっちゃあ~と思われると思いますが、ここまで出来る先生は稀です。
それから、この先生も失敗はされます(ご本人も、毎回はなかなか…と言われますから)。
そして、支援の先生のスキルの問題だけではなく、Aくん自身が幼児期からどれだけ療育で練習を重ねてきたか
(個別でできないことは集団でもできません!学校に丸投げはダメですよ~)、
1年間という年月を重ねてきて今があること等、本当にいろいろな積み重ねがあります。

今日のブログで皆さんに知っていただきたかったのは、
まずは、素敵な先生もいるよね~ということ、
支援の方法には、子ども自身に頑張らせることと環境整備することがあるということ、
その割合をどうするかは練習場面によること(学校、小集団療育、個別療育)
そして、学校や療育に丸投げするのではなく、保護者の方々の協力も必ず必要ということでした。

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2013-02-16

バトル!!!

先月でしたか、こども塾のお手伝いに入りました。
最近はアシスタントの皆さんが随分しっかり動いてくれますので、
私が手伝いに入る機会は殆どないのですが、こども達と直接関わるのは、やっぱり面白い。

私たちの療育では時々あることなのですが、久しぶりのお手伝いの私を待っていたのは、
1年生男子との戦いでした。
彼は、直前の活動でうまくいかなかったこともあり、元々イライラしていたこともあったのですが、
今の集団場面では叶えられない彼の要求を断った私をめがけて背中からドン!!! 
背後からとは卑怯な!売られたケンカは買ってやろうじゃないか(笑)と、
こういうことを見逃さない、取りこぼさないのがKid’s Powerです。
こどもだからって、発達障害があるからって、ダメなもんはダメなんです。
ただ、ダメだってことをどのように教えていくのかが大事で、
こどもの言動に腹を立てて怒りをぶつけるだけでは、彼は同じ事を繰り返します。
大人がこどもを叱ることの意味は、それによって、こども達が大人になった時に必要なスキルを学べ、
社会の中で互いに心地よく関わりながら生きていけるようになれるためです。

こういう場面で大人が必要なスキルは唯一、「忍耐」です。
ただただ、彼がその場面で必要な行動をできるまで待つのみです。
特別な技は必要ないのですが、とにかく手間がかかります。
なんせ、できるまで1時間でも2時間でも付き合うわけですから。

私「ごめんって言って。」
男子「いや、絶対言わない。」
私「ごめんって言って。」
男子「いや、ごめんって言わなかったらどうなるの?」
私「どうにもならない、ごめんって言って。」
男子「離して(私が男子の手を掴んでいる)。」
私「いや、ごめんって言って。」
男子「どうしたら離してくれるの!」
私「ごめんって言ったら離す。」
男子「………(しばらく考えて)僕は悪い子だからごめんって言わない、江口先生はいい子だから手離して。」
私「(お、ちょっと面白いけど)私、悪い子だから離さない、(男子)はいい子だからごめんって言って。」
男子「ごめんって言わずに、どうしたら離してくれるの!」
私「ごめんって言わなきゃ離さない、どうしたらごめんって言うの?」
男子「え、え~っと…(不意の質問には冷静に考えてしまっている…笑」

真顔の真剣勝負をしながら、時々面白いコメントもあり(それを心の中で笑う余裕をもって)、
小一時間ぐらいでしょうか、最終的には、男子が小声ですが「ごめん」と言って終了です。
大人が見極めるべきところは、彼が、どうして「ごめん」を言えなかったです。
彼は、私をドンと押したことはダメなこと、そうすると相手は不快(痛い)、こういう場面では「ごめん」と言わなきゃいけない、
そんなことはわかっています。
できないのは、言いたくない自分の気持ちと折り合いをつけて、実際に「ごめん」と言う行動をすることです。
頭でわかっているのと、それが実際の行動としてできることは、別のスキルです。
だから、実際の行動をする機会を作っていかないと、どれだけ諭してもできるようにはなりません。
いろいろ説明して諭す事よりも端的に、今すべきことを言って、ひたすらできるまで待つことですね。

そして、この場面を終結させて私たちが次に考えることは、
似たような機会で、彼がエラーせずに(ドンとせずに)スマートに乗り越えられるためのスキルと練習場面です。

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2013-01-26

アシスタントの役割

ある社会福祉法人の方が、こども塾(小学生向けソーシャルスキルクラス)を見学にいらっしゃった時のこと。

「こども達は、先生役とアシスタント役の両方から声をかけられて混乱しないのですか?」

ズバリ…混乱しません。正確に言うと、私たちのこども塾では混乱していません。
彼らは、「先生」と言えば、クラス担任をしている寺口に向かいます。
作業が終わって指示を聞くため、できた課題を提出するため、やっていいか確認するため、
このクラスで指示・報告・確認等が必要な場合は寺口を見たり、寺口に聞きます。
では、アシスタントとは、どんな時に関わるのか。
例えば個別学習時間、わからなかったら○○先生(担当アシスタント)に聞いてと事前に言われている場面では、
(もちろん、アシスタントがどこまで、どのように教えるかは事前に打合せされている)
それぞれのアシスタントに教えてもらいます。
でも、全体の開始や終わりの合図や最終的なチェックは、担任の寺口の指示で動きます。

集団療育をする時にとても大事なのは、支援する側のチームワークです。
そのためにはメンバーが、それぞれのこどもの課題と集団の課題を理解し(メンバーのベクトルを合わせます)、
それに応じたリーダーとアシスタントの役割を把握しておくことが大事です。

先日、小学校の特別支援学級で指導をさせていただいていたときのこと。
数名のこどもに、担任が1人、それぞれのこどもにアシスタントがついています。
担任が説明している時に、その説明にかぶせるようにアシスタントが説明をします。
担任が体操をしている時に、アシスタントがこどもの前でニコニコしながら体操をしています。
こどもが課題に従事している最中に、アシスタントが横で「うん、うん」と声を出して頷き、
時折、大きな声で誉めています。

さて、こどもは誰に注目し、誰の指示を聞き、最終的には誰と一緒に行動しなければならないのでしょう。
アシスタントは、こどもと自分が一緒に活動することをアシストするのではなく、
担任とこどもが一緒に活動できる(アシスタントがいなくなっても)ことをアシストするためにいます。
だから、アシスタントは、担任が指示(口頭でもモデルでも)している時は、
決して、自分自身は指示を出しません。
すべきことは、担任に注目するように促すことです。
こどもが課題に従事している時に、それを妨げるような声などの刺激(誉めてても)は出しません。
誉める、叱る等のフィードバックは、このクラスのジャッジ権がある担任がします。

想像してみて下さい。
舞台を見ている時、黒衣は、役者がセリフを言っている傍でセリフを言わないし、
観客が役者の演技に見入っている時に相槌を打ったり感想を言いません。
できるだけ、役者と観客の間にうまれる世界観に影響しないように振る舞うことが、彼らの役割です。
それぞれのメンバーが、その集団やこども達の目的を理解し、それぞれの役割を全うしてはじめて、
集団による教育の効果はうまれます。


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2012-11-10

「問題なしです」

個別相談では、こどもの療育課題や方法だけでなく、学校や幼稚園・保育園での様子についても相談があります。
私は、療育の目的は、特殊な環境の療育場面で上手く過ごせるためでなく、
家庭や学校・幼稚園・保育園等の日常生活を行う場面で上手く過ごせるために、
学びやすい特殊な環境や課題設定をするものだと思っています。
日常生活場面で上手く過ごせるための課題を考えるわけですから、当然、日常の様子に関する情報は重要です。
さて、ここで問題となるのが、どんな情報が得られるかです。
私たちが欲しい情報とは、大問題になっている情報でなく(これも、あれば対処するのですが)、
むしろ、大問題になるかもしれないことの情報です。
それを知ることによって、そうならないように課題を組み、発達を促していく予防的な療育が大事なのです。
大問題になってしまった時には既に遅く、本人はもちろん傷つきますし、周りのこども達も傷つきます。
また、一度ついてしまったイメージは、なかなか拭うのが難しいのです。
失敗して学んでいくと言われる方もいらっしゃいますが、学んでいける失敗とは、その先に成功がある場合、
または、努力して失敗を重ねながらも成功した経験が土台にある場合です。
いいかえれば、成功するまで努力し続けられるから、最終的には失敗はないのです。
ところが発達障害があるこども達は、もともと失敗する量が多い上に、
人間関係に関する課題においては、社会性の幼さから、成功するまで努力し続けることが難しいのです。
だから、小さな成功体験をちょくちょく入れて、負荷をコントロールされた失敗を意図的に入れていき、
成功と失敗のバランスを調整してあげる時期が必要なのです。
話しは長くなりましたが、これを成功させるために必須なのが、日常生活での情報なのです。
どうやって情報をとるのか、一番いいのは、療育をする人間が観察することです。
どの情報が大事なのか区別がつき、課題の予測ができている人が見れば情報の見落としは少ないです。
ただ、これは物理的な問題も多いので、次の策としては、周りのこども達からの情報です。
こども達の情報は、当たり前のことですがこどもの話として聞くという前提で、
(幼児や低学年のこども達は、まだまだ、一側面からの見方しかできない発達です)、
オブラートに包むことなくストレートに言ってくれますので、わりと正確です。
ただ、これも小学校に入ると難しくなります。
送り迎えがなくなるので、こどもに接する機会が減るからです。
そして、最後に残るは、学校や幼稚園・保育園の先生に聞くことです。
ここまできてやっと本題ですが、
先生の「問題なしです」は、大問題が起きていないという意味だということを知っておいてほしいのです。
何も連絡がないのも同じです。
このズレは、何を目的にしているかの違いと、発達の見方の違いから起こります。
私たちの目的は、予防的に療育をすることですから、大問題になるかもしれない兆しや、
次の発達課題の取り組める兆し、そういった問題に関する情報がほしいのです。
でも、学校や幼稚園・保育園で、先生は集団として多くの人数をみているわけですから、
集団としての動きに支障がないかが最も気にかけられている場合が多く、
そうすると、例えば、授業中にボーッとしていても、静かに座っていれば問題なしになるのです。
支援学級の場合だと、手を加える必要がない個性として受け入れられる場合が多く、ここでも問題にはなりません。
私からすれば、それらは個性と言えば個性ですが、そのままでいいという意味ではなく、
個性的な教え方が必要な発達課題なんだと思います。

このような事情から、学校や幼稚園・保育園の先生とお話される時には、
「何か問題ありませんか?」と、抽象的な質問のされ方をするのではなく、
「1時間の授業で、手遊びしていることが何回ぐらいありますか?」と、具体的な質問をしていただければと思います。
それから大事なことですが、先生達とお話する時には(先生に限らずですが)、
社会人としてソーシャルな振舞いをしましょうね。
前もって約束するとか、頻度とか、言い過ぎないとか、そういった一般的なマナーです。
お互いに気持ちいい関係をつくれないと、なかなか支援はうまくいきませんからね。

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2012-10-10

こどもの力を信じる

うちの子自慢に運動会の記事を投稿していただきました。
(読者の皆さま、運動会の様子をぜひ、私のブログにコメントして下さい!)
その記事を読んでいて、ふと思い出しました。
今日のタイトル「こどもの力を信じる」です。
この言葉、幼稚園や学校などの先生と呼ばれる方々からよく聞くのですが、
ちょっと使い方が違うよな~と思うことがあります。

スポーツ選手がオリンピックなどの大きな大会前のインタビューで、
「あとは自分の力を信じて戦うのみです。」とか、
代表チームの監督が、
「あとは選手たちを信じるのみです。」と、コメントすることがしばしば聞かれます。
この言葉は、「あとは…」とか「~のみ」という言葉が意味するように、
既に信じるに値するだけの努力をしてきたことがたくさんあり、
その努力を信じると言っているわけです。
勝利を裏付けるだけの努力も何もないところに、ただ信じると言われても、何を信じるのだというわけです。

そこで、先述の「ちょっと違うよな~と思うこと」ですが、学校や幼稚園で見られるアベコベの場面です。
本来は、日々の練習の時には、できるだけ1人で活動に参加できるようにするための援助を十分に行い、
その結果、本番当日は、「こどもの力を信じて1人でやらせてみましょう。」と、なるはずなんです。
ところが、アベコベの使われ方では、練習の段階で「こどもの力を信じて」と、
1人でできるようになるための援助や工夫はなく、いきなり崖から突き落とすかのように放置された挙句、
本番は、やっぱり1人では難しいようなのでとべったりと人が付き添い、
まるで操り人形のように踊らされるこどもの姿があるのです。

ただ信じるだけで何とかなるんだったら、こども達には、誰よりも彼らを信じる親御さんがいるんだから、
今ごろ、すっかり何とかなっているはずなんですよね。
手間暇かけてこどもも大人も頑張らなきゃいけない場面なのに、
「こどもの力を信じる」という印籠をかざして大人が手を抜いていては、
こどもも、自分を信じるとはどうすればいいのかを学ばずに大人になってしまいますよね。

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